満州旅行 その3 (旅順)

阜新から大連まで高鉄にのり、さらに地下鉄を乗り継いで旅順のホテルにチェックインしました。 
ホテルから見晴らしが良く旅順湾(旅順軍港)がよく見える絶好のロケーションの部屋でした。
旅順湾から外海に出る狭い水路が1.5Kmくらい先にくっきりと見えました。今から114年前の日露戦争の時、日本軍は、湾の出口に引退まじかの老朽艦を沈めて湾内に停泊するロシア軍艦を脱出しにくくした上、私が今いるホテルの後方2Kmの203高地を確保し、湾内のロシア艦隊を砲撃したとのことです。でも、当時の日本の大砲ではあまり命中しなかったようです。
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ネットからパクった地図に私が泊まっているホテルの位置をX印で追記しました。
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翌日、旅順監獄(今は博物館)に行きました。前週、ハルビン駅の伊藤博文暗殺現場を見てきましたが、今日は、犯人の安重根が処刑された旅順監獄です。処刑された部屋は保存されていました。獄房は雑居房で6畳くらいの広さに、8人分の名札が掛けられるようになっていました。以前見学したソウルの西大門刑務所では、し尿を部屋の隅の落下穴から屋外に垂れ流す方式でしたが、こちらは二つの木桶が置いてありました。
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旅順監獄には日露戦争当時に使用された水雷が展示されていました。1977年に引き上げられたと説明されています。設計者:小田喜代藏、内装:下瀬火薬と書いてあります。
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旅順の路線バスに乗り「川島芳子旧宅」に行ってきました。彼女が8歳で日本留学するまで住んでいた家です。新中国成立後、「日本軍国主義への協力者」として、この家は荒れ果てていたようですが、この10年くらいは「歴史の事実を記録しよう」という政府の方針でしょうか、歴史遺産として綺麗に復元され保存されています。添付写真には若い中国人女性が大きな一眼レフカメラで撮影しているのが写っています。
WiKiによると、1948年に北京で銃殺刑執行後の獄衣のポケットに残されていた辞世の詩には以下が書かれていたとのことです。最初の「家あれども」とはこの家だったんですね。
<家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず 法あれども正しきを得ず 冤あれども誰にか訴えん>
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もう40年も前になりますが、モーターボートの大レースがTV実況中継されました。日本船舶振興会会長の笹川良一がゲストとして出演しました。笹川は右翼の大立て者として戦前の満州で暗躍していました。それを知っているのでしょうか、アナウンサーが川島芳子のことを質問したら、笹川は「川島芳子は・・・」と言ったきり目線は遠くを見つめ次のコトバが出てきませんでした。 それを見たとき、笹川や川島芳子の人間像を垣間見たように感じました。
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旅順には戦前、旧制の「旅順高校」があったくらいですからたくさんの日本人が住んでいたはずです。ホテルから徒歩圏内には日本軍が使っていた建物などがたくさんありました。添付写真のように日本瓦で葺いた家も何軒か見かけました。
旅順駅はロシア風の建物でした。日露戦争で日本が勝ち旅順を占有する前はロシアが占有していましたので、その当時建てられたものでしょう。
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